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2019.02.10

戊辰戦争と仙台藩〜その時、石巻では<16> 細谷と星が会見

細谷鴉仙和尚遺徳碑(仙台市青葉区子平町の龍雲院)

 額兵隊は、仙台藩の侍の同士討(う)ちを避けるため、1868(慶応4)年9月晦日黄昏時(みそかたそがれどき)に宮床(現大和町)を出発しました。夜になってからは松明(たいまつ)をつけて、富谷(現富谷市)、大松沢(現大郷町)を経由して進軍をします。しかし、雨のため道はぬかるみ大砲の運搬に苦労し、さらに大風のため松明が消されたりしながらも、高城(現松島町)を経て小野(現東松島市)に着きます。10月1日のことでした。

 この日、藩の探索は額兵隊が宮床を脱出したと察知し藩に報告をすると、遠藤文七郎は八幡町龍宝寺にいる細谷十太夫を呼び出します。馬で青葉城に駆け付けた細谷に対し、参政塩森左馬之介は「星を説得し、宮床に謹慎させるのを細谷に任せたが、額兵隊はそこを脱出している。これは細谷に責任がある」と責めました。

 しかし、細谷は反論します。「いったん宮床に落ち着いているのに、自分に一言の相談もなしに松坂を刺客として遣わしただけでなく、投機隊を派遣して討伐を企てていると聞く。このように事態を一変させたのはあなた方であって、自分は関知しないことだ」と突っぱねます。

 塩森は、細谷の責任は問わないから、どうか星を説得して額兵隊を引き返させてほしいと、必死に細谷に懇願します。

 その夜、細谷は馬を飛ばし額兵隊を追いかけます。高城に着いた時、星らは既に小野に向け出発した後。細谷が小野で額兵隊に追いついたのは10月2日未明のことでした。

 細谷と星は、阿部旅店で会見を持ちました。

 細谷が「何処(いずこ)に行こうとしているのか」と尋ねると、星は「新政府軍は悪逆な威勢を振るい、仙台藩の執政は忠臣を逮捕することを急いでいるだけでなく、自分たちを暗殺しようとしている。それ故、榎本らと一緒に松前(現北海道)に渡るつもりだ」と応えます。

 細谷は説得しました。「君が巷(ちまた)の説に惑わされ兵を動かすのは、藩主が謹慎しているのを駄目にしてしまうのでよくないことだ。これから自分と一緒に志田郡松山(現大崎市)に行って兵をまとめ、仙台藩の安泰を図るべきだ」

 星は奮然として自分の思いを述べました。「あなたは忠義の英雄で共に大事を成せる強者だと聞いていたが、既に奸賊(かんぞく)に通じ自分たちを袋の鼠(ねずみ)にするのか。卑怯(ひきょう)だ。あなたは各地の戦いで功績があって以後、藩主から優遇されてきた。それなのに、君恩を忘れ今は奸徒(かんと)に味方している人面獣心の匹夫(ひっぷ)に、どうして忠臣義士の志を理解できようか。自分はこれから石巻に行き、正義の兵を挙げる。あなたは自分の兵を率いて来なさい。お互いに堂々と雌雄を決しよう」

 細谷は、自分はあなたを討つために来たのではないこと、額兵隊の全員が、あなたと一緒に蝦夷地(えぞち)に渡ろうと考えているわけではないことを訴えます。そして、石巻で、額兵隊から抜けて仙台に戻りたい者がいたなら、自分が仙台に連れ帰ろうと申し出ました。

 ここに来るまでに、既に額兵隊から脱出する隊員も出ていましたので、星隊長自身も、隊員の心の動揺を感じ取っていたのでしょう。「連れ帰ることは、あなたの勝手だ」と答えます。これが2人の妥協点でした。

 2人の会見が終わるや、隊員は整列し石巻を目指しました。十太夫も轡(くつわ)を並べて進み、正午に石巻に到着します。

 星恂太郎は、自分を含め額兵隊員が探索され命が狙われていることを知っていました。そこで彼は「梅田帯刀」と名を代えています。用心している彼は、石巻にきた日は、新撰組(しんせんぐみ)の野村理三郎の陣営に潜伏しました。

(石巻市芸術文化振興財団理事長・阿部和夫、毎週日曜掲載)


※戊辰戦争と仙台藩〜その時、石巻では<15> 暗殺の企て二つ
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2019/02/20190203t13001.htm


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