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2018.11.04

米軍医が撮った1951、石巻地方<39> 流留塩田の水路

石積み護岸、絵になる1枚

 この川はどこだろうか。川沿いに石積護岸と家並み、橋と船の奥に山が見えます。場所が不明でしばし自問自答しましたが、かつて渡波町に長く暮らしたことのある知人から答えを頂きました。

 写真の場所は石巻市流留の家の前地内、国道398号沿いのイオンスーパーセンター石巻東店先の女川町寄りです。既に水路は大半が埋め立てられ姿を消しましたが、当時の稲井町流留地先の万石浦の弁天島(厳島神社)付近から下流の渡波町塩富町で、万石浦に通じる流留塩田の北西側を流れていた水路と思われます。

 河川と判断したのは、北上川を知る筆者の川を連想させる先入観でした。

 塩田は江戸時代の初め、流留村の菊池与惣右衛門によって流留村で始まります。やがて根岸村渡波に拡大し、以来、仙台藩内で最大の生産地「渡波塩田」として知られるようになります。明治以降も操業が続けられ、1958(昭和33)年、三百有余年の歴史に幕を閉じました。

 バトラー大尉が写真撮影した頃はまだ操業中ですが、製塩作業のカットは見つかっていません。

 水路に面した石積み護岸の水辺風景は、石のまち・石巻らしさを感じさせる最良の写真です。家並みの陸側に現在の国道398号ともう1本の道路が水路と平行に走っています。井内石を無駄なく使った石積み護岸はその丁寧な仕事ぶりに感心します。

 護岸ぎりぎりに建つ木造家屋のたたずまい。左端の平屋は下屋が杉皮葺(ふ)きに置き石屋根、壁が下見板のない土壁むき出しと思われ、増築部分かもしれません。

 家から海に降りる階段を見ると、水路を道替わりにした人々の暮らしが感じられます。家々と塩田を結ぶ木橋と小船、後方の高い山並みは黒森山でしょうか。絵になる1枚は、今は失われた六十数年前の石巻風景です。(郷土史家・辺見清二)


※米軍医が撮った1951、石巻地方<38> 小松の亜炭鉱山
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/10/20181028t13005.htm


<情報をお寄せください>
 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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