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2018.11.04

「津波防災の日」あす 碑は語る、命つなぐ教え 石巻地方

「女川いのちの石碑」

東松島・牛網「津波の教え石」

石巻・雄勝名振「未来へつなぐ命」碑

石巻・大川「間垣慰霊碑」

 5日は、8回目の「津波防災の日」となる。東日本大震災の巨大津波を教訓に、日頃の防災意識を高め、犠牲を繰り返さない決意を確かめる一日になる。

 津波防災の日は、2011年6月制定の津波対策推進法で定められた。同法は津波対策を総合的・効果的に推進するとともに、観測体制の強化や防災対策の実施を規定している。

 「11月5日」は1854年の同日(旧暦)発生した安政南海地震に由来。和歌山県に大津波が押し寄せた際、稲に火を付け、暗闇で逃げ遅れた人々を高台に避難させて命を救った「稲村の火」の逸話に基づく。

 国連は15年12月、11月5日を「世界津波の日」とする決議案を採択。日本とチリが主導し、津波の脅威への国際的な啓発を図る。

 石巻地方では震災後、甚大な津波被害を後世に伝承する碑が各地に建立された。「ここにも津波が来る」「まずは逃げる…高台へ」「1000年後の命を守るために」。碑に刻まれた言葉は、過酷な体験をした現代の人々が未来へ伝え継ぐ、渾身(こんしん)のメッセージになる。

 教訓は風化していないか。備えは万全か。碑が語る教えを改めて紹介する。

■女川・各地「女川いのちの石碑」/21カ所の建設を目指す

 <ここにも津波は来る。
  誰しも予想しない大津波が襲い、
  愛する多くの人を失いました。
  ここは「大丈夫」はありません。
  常に心がけて再び悔いの残らぬように
  まずは逃げる…高台へ。高台へ。
  伝えてほしい未来に生きる人達へ。>(抜粋)

 女川中の卒業生は、震災の津波到達点より高い場所に碑を建てる「いのちの石碑プロジェクト」を展開している。震災を教訓に「1000年後の命のためにできること」をテーマに掲げ、在学中から取り組んできた。町内21カ所への建設を目指す。

 1基目は2013年11月、女川中の敷地内に設置した。その後、町有地や神社の境内などに次々と建立。17年12月に建てた17基目まで整備が進んだ。

 碑には、1000年後の命を守るための方策として「非常時に助け合うため普段からの絆を強くする」「高台にまちをつくり、避難路を整備する」「震災の記録を後世に残す」と明記。津波発生時の迅速な避難も呼び掛ける。


■東松島・牛網「津波の教え石」/住民集い碑文練り上げ

 <ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
  もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。
  逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。
  家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。>(抜粋)

 東松島市牛網の市平岡地区センター敷地にある。高さ1.7メートル、幅2.3メートル。「津波の教え」の題字は地元の書家横山萌舟さんが筆を執り、震災の日付と津波の水位を刻んだ。

 牛網地区は平野部にある。多くの住民にとって想定外の津波は26人の命を奪った。碑には家族の絆の象徴として、彫刻家大塚亮治氏(静岡県島田市)のブロンズ母子像をあしらった。

 建立に当たり、牛網町内会が仙台や東京のワイズメンズクラブと連携。住民は30回以上集まり、構想と碑文を練ったという。

 碑は2014年3月に完成した。建立役員会長を務めた佐藤充信(あつのぶ)さん(83)は「震災が風化しないよう、碑を見て語り継いでほしい」と願う。


■石巻・雄勝名振「未来へつなぐ命」碑/逃げる子どもの彫刻も

 <大地震があり 誰も予想しない 大津波が襲いました。
  多くの命 家族を失いました。
  地震があったら津波がきっと来る
  直ちに逃げること、高台へ
  一時間はその場を離れないように
  この教えを後世に伝え、大切にして欲しい 未来へつなぐ命を。>(抜粋)

 名振湾が一望できる高台の公園にある。2016年2月27日に建立された。東北ミサワホームとミサワホームが寄贈。仙台YMCA・YMCA石巻センターなどが協力した。

 高さ1.8メートル、幅2.1メートルの大きさ。高台に向かい走って逃げる子どもの彫刻をあしらった。「未来へ つなぐ命」の題字が目に飛び込んでくる。震災発生時の年月日と、実家が被災し母親を亡くした名振出身の女性が考えた碑文も刻んだ。

 地域住民は「震災で経験した高台へ逃げることの大切さを、後世に語り継いでいきたい」と願う。石碑の脇には、昭和三陸津波(1933年)の時に建てられた石碑が移設されている。


■石巻・大川「間垣慰霊碑」/犠牲になった74人刻む

 <大津波が襲来し、
  堤防を八百メートルに亘って決壊させ、
  人命のほか、住居、車、田畑など全てを飲み込み、
  壊滅状態となった。
  四十八軒あった家並み、日々の暮らしは四軒の残骸を残し
  大津波により大量の瓦礫へと姿を変えてしまった。>(抜粋)

 石巻市大川地区の間垣集落に2017年10月、地元有志によって建立された。津波で犠牲になった住民や地区内で被害に巻き込まれた計74人の名前を刻む。慰霊碑の裏面には「地震だ!! 津波だ!! すぐ避難!!」と刻まれ、災害時の迅速な対応を促している。

 同集落は海岸から5キロ上流の北上川沿いにあり、震災時は北上川を逆流した津波で堤防が800メートルにわたって決壊。住民の半数以上に当たる74人が犠牲になった。集落にあった48世帯のうち、44世帯の住宅が流失した。

 「住民は巨大地震のショックと被害の大きさに呆然(ぼうぜん)となり、身の回りの片付けが精いっぱいの状況だった」。戦慄(せんりつ)の時を、慰霊碑は克明に語り続ける。


■石巻・萩浜「津波の教え石」/住民組織が新たに建立

 <忘れぬ命 明日へ繋ぐ
  後世に伝えてほしい。
  「ここなら大丈夫」と言わないで、さらに高いところへ逃げ、
  自分の命は自分で守ってほしい
  この命、未来へ繋ぐ…>

 石巻市荻浜支所と公民館の複合施設敷地内に設置され、荻浜港を見下ろす高台に設置されている。

 1933年の昭和三陸津波後、旧荻浜村役場跡地に「地震があつたら津浪の用心…」「先に老幼続いて避難第一」と刻まれた石碑が建てられたが、2011年の津波で倒壊した。

 震災では同地区の住民27人が犠牲となった。犠牲者の供養と津波の悲惨さを後世に伝えるため、市荻浜地区行政委員連合会は新たな碑の建立を企画し、昨年10月に完成した。

 荻浜中の生徒のレタリングを刻石した碑文には、津波がもたらした悲しみ、それを乗り越えて生きていく誓い、そして津波から命を守ってほしいという強い願いが込められている。


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