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2018.07.14

私設避難所、国内外で関心 東松島の佐藤さん「憩いの場に」

ヤマユリが咲く岩山の頂上から野蒜海岸を見渡す佐藤さん

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた東松島市野蒜で、住民70人余りを津波から守った手作りの私設避難所が、震災から7年4カ月経過した今、国内外から視察が相次ぐなど多方面から関心を集めている。「津波はここまで来ない」と言われながら震災発生の10年以上前から私財を投じて地道に整備し続け、高台避難の重要性を示したお年寄り。「地域の憩いの場にしたい」と語り、下草を刈り、苗木を植えて今後に備えている。

 私設避難所を整備したのは、無職佐藤善文さん(84)。地元でタクシー会社を営み、観光客を沿岸部に案内するたびに「チリ地震津波(1960年)と同規模の地震が地元で起き、津波が来たらどこに誘導すべきか」と常に気に掛けていた。

 99年、65歳で会社を長男に引き継いだのを機に、気掛かりだった避難所を自宅近くで所有する岩山に造ることを決心した。岩山は野蒜海岸から約700メートルに位置し、標高約30メートル。1人でやぶを払い、斜面に階段を設けた後、建材を担いで上り、あずまやと8畳ほどの小屋を建てた。整備費用は年金を充てた。

 野蒜地区では当時、「津波が来ても東名運河に吸収されて被害は小さい」と考えられていたため、作業を続ける佐藤さんを笑う人もいたという。

 震災当日、大きな揺れの後、佐藤さんは家族5人で岩山に登ると、すでに約40人が避難していた。岩山下の住宅街は濁流が流れ込み1階部分が水没。津波にのまれた人も引き上げ、避難者は70人以上になった。高齢者やけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずまやでたき火をして二晩過ごした。

 同地区では、住民4828人中516人が犠牲になった。旧野蒜小などの指定避難所も津波に襲われ、被害が拡大した。佐藤さんは「もっと多くの人に『逃げて来て』と伝えれば良かった」と悔やんだ。

 震災から7年4カ月余り。佐藤さんの思い、考え方に賛同する人は増えた。岩山は、今では震災から地域住民を救った「佐藤山」と呼ばれるようになり、この実話は、絵本「おさとうやま」として2014年12月に出版された。英語とインドネシア語に翻訳され、海外にも渡っている。

 佐藤さんは「今も海を見るのがつらいという人が少なくないが、何年後かに訪れてくつろいでもらえたらうれしい。この場所が50年後、100年後まで命を守る避難所として残ってほしい」と願っている。


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