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2018.07.11

私の甲子園<4> 仙台育英高/1977年夏 山下静夫さん

仙台育英−高知 山下さんが適時打を放ち、1点を返した=1977年8月9日、阪神甲子園球場

山下静夫さん(58)

<野球人生の礎つくる>

 今でこそ全国区の知名度を誇る仙台育英にも、甲子園1勝に苦しんだ時代があった。

 山下さんは3年生だった1977年夏、2番セカンドで出場した。チームは過去4度出場した夏の選手権大会で、全て初戦敗退していた。雪辱を期し挑んだ1回戦の対高知(南四国)戦。三回に許した得点が重くのしかかり、1−5で敗れた。

 山下さんは「できれば甲子園で一つ勝ちたいとは思っていたが、県大会優勝が最大の目標になっていた。気持ちが切り替えられなかった」と明かす。

 先発9人のうち、3年生は4人のみ。エースで4番の大久保美智男選手(元プロ野球広島)をはじめ、主力の多くは2年生だった。5点を追う五回。二死1、3塁で山下さんは右前適時打を放ち、1点を返した。「3年生の意地があった。とにかく打つしかないという気持ちだった」

 アルプススタンドの応援は耳に入っていたが、目を向ける余裕はなかった。無我夢中で戦い、山下さんは三塁打2本を含む3安打。チーム全体は相手より2本多い8安打だったが、反撃はこの1点止まりだった。

 甲子園に出場したことで、野球を続けたいと思うようになった。亜細亜大に進み、3年秋と4年春に東都大学リーグを制覇。4年春にはリーグのベストナインと首位打者に輝いた。卒業後は社会人野球の専売東北(現JT)入りし、監督まで務めた。退いたのは35歳の年だ。

 「高校野球が原点。チームが何を求めているのかを考えてプレーしていた」と目を細める。

 身長は171センチと小柄で、足も決して速くはなかった。大所帯の中で、守備やバントなど小技が生きる道だと信じ、技術を磨いた。当時の努力が長い野球人生の礎になった。そう感じている。

■やました・しずお
 1959年9月、石巻市雄勝町生まれ。亜細亜大卒。82年専売東北入り、90〜95年に監督。JT社員。仙台市宮城野区在住。


※私の甲子園<3> 釜石南高/1996年春 前田直樹さん
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/07/20180710t13017.htm


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