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2018.07.10

私の甲子園<3> 釜石南高/1996年春 前田直樹さん

前田直樹さん(39)

最後の攻撃を前に円陣を組んで気合を入れる釜石南ナイン=1996年3月31日、阪神甲子園球場

<苦い記憶が原動力に>

 釜石南(現釜石)は東北大会で準優勝を果たし、1996年に選抜大会へ初出場した。地元の期待に応え、ライバルの私学を倒し立った夢舞台。しかし、エースとして先発した前田さんには、今でも苦い記憶として胸に残っている。

 1回戦の相手は米子東(鳥取)。初回、先頭打者に四球を与えると、さらに2四球と犠打であっという間に一死満塁に。押し出し四球で先制を許した直後「人生初」という満塁本塁打を浴びた。一回途中、5失点でマウンドを降りた。わずか29球だった。

 前田さんは「前日の感触が良く、勝てると思って油断した。ストライクが入らずパニックで、ほとんど記憶がない」と振り返る。

 実は、前日にも米子東と対戦していた。1点リードしていたが、二回途中で降雨ノーゲームに。4番の前田さんは初回の得点機で先制打を放ち、投げても相手打線をきっちり抑えていた。「いいイメージだった。夜には宿舎にテレビの取材が来て浮ついていた」と悔やむ。

 一時は6点差をつけられたが、打線が奮起し八回には7−6と逆転。しかし、最終回に追加点を許し7−9で敗れた。「負けたのは100パーセント自分のせい。みんなに申し訳なかった」。試合後、涙が止まらなかった。

 この苦い記憶が、いつも原動力になった。慶大では1年からベンチ入り。日本製紙入社後2年は社業に専念し野球から遠ざかったが、チームへの合流に備え自主練習を欠かさなかった。「甲子園で悔しい思いをしたから、ここまで野球を続けられた」

 あの春に学んだことは「先を見て油断しないこと。勝ったなと思うのは、勝った後でいい」。気合を入れたい時には、今でも当時の新聞の切り抜きを見返している。

■まえだ・なおき
 1978年9月、釜石市生まれ。慶大卒。2003年に日本製紙石巻加入。17年から監督。石巻市在住。

※私の甲子園<2> 仙台育英高/1989年夏 高橋左和明さん
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/07/20180707t13012.htm


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