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2018.07.04

ロシアに残った若宮丸漂流民〜善六ものがたり<20> 番外編・その後の慶祥丸(上)

バラムシル島(「クルーゼンシュタインと共に世界一周」より)

千島列島の地図(「日本北辺の探検と地図の歴史」より)

 イルクーツクに向かった善六のその後の運命も気になるところだが、その前に、善六に見送られはしけに乗って、千島列島の島々を伝いながら、松前を目指した慶祥丸乗組員のその後の運命をたどらねばなるまい。

 誰もが無謀だとやめさせようとしたこの航海は、最初から困難に満ちたものとなった。飢えと波が、彼らの行く手を何度となく阻んだのであった。

 わずかな食糧と水を小舟に積んで大海原に乗り出した慶祥丸乗組員が、半島から一番近いところにあったシュムシュの島影を見たのは、ペトロパブロフスクから出て2週間たってからだった。小さな舟では波や風に逆らう術もなく、ただ潮の流れに身を任すしかなかった。

 やっとのことで島への渡り口までやってきたときには、積んでいた魚はほぼなくなっていた。善六が手配した米があったが、これから先の旅のことを考えて手を付けず、貝や海草を食べながら何とか飢えをしのいでいた。風にさいなまれ、なかなか着岸できず、さらには何度も高波で遠く沖まで流されたりするなかで、幾度となく継右衛門たちは死を覚悟することもあった。

 何とかシュムシュ島にたどり着いたのは、島影を見つけてから1週間後のことであった。しかしここにも食べ物はなく、一行は岸辺に打ち上げられていた骨ばかりになった鯨の死体を拾い、骨の間の肉を掘り出して飢えをしのいだ。

 次の島を目指した一行は、4キロ先に陸地を目にする。そして7月中旬にこの島の東側の入り江に着岸した。3日ほど島を巡りながら、やっと2人のアイヌがいるのを見つけたときは、どれだけ6人を勇気づけたことか。

 浜辺に舟を着け、アイヌたちのもとに駆け寄った6人は、すがりつくように何か食べさせてくれと迫った。一目で飢えているのがわかったアイヌたちは、食べ物を与えてくれた。やっと落ち着いていろいろ話をしているうちに、この島がパラムシル島ということを知った。

 アイヌと言えば、あの時もう死ぬしかないと思ったときに助けてくれたロシア船にもアイヌが乗っていた。継右衛門は、あのとき自分たちをペトロパブロフスクまで連れていってくれた、アイヌのイハンやテレンテという名前を口にしたところ、アイヌたちは2人がこの島の住民だというではないか。

 島伝いに松前まで行きたいと身ぶりを交え説明すると、これから先の島々の入り江は岩場が多く、彼らが乗っているはしけではとても着岸ができない、それよりラショワ島の住民を乗せた船がいまロシアにいっているが、間もなくこの島に立ち寄ることになっているので、その船に乗せてもらうのがいいと身ぶり手ぶりで説明してくれた。

 継右衛門ははしけの航海がどれだけ大変で、これからどうなるかということをずっと気にかけていた。もし乗せてもらうのなら、それが一番いいだろうと、この助言に従うことにする。

 ずいぶん待つことになったが、この間もアイヌたちは親切に慶祥丸乗組員の世話をしてくれた。そしてアイヌたちが言っていたように、ラショワ島の船がやって来た。パラムシル島のアイヌの長老オンテレが、船長マキセンに直接頼みこんでくれた。マキセンは快く願いを聞き入れてくれた。

 慶祥丸乗組員6名は、今まで運命を共にしてきたはしけをこの島に置いて、マキセンの船に乗ってパラムシル島を出た。船はオンネコタン島、ハルマコタン島、シャシコタン島、モシリ島、ウリアキ島、マツワ島を経て、目指すラショワ島に到着した。8月の初めのことである。

(毎週水曜掲載/大島幹雄・作、太田和美・絵)


※ロシアに残った若宮丸漂流民〜善六ものがたり<19> 第1部カムチャッカ(18)
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/06/20180613t13008.htm


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