NEWS 石巻かほく

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018.05.16

ロシアに残った若宮丸漂流民〜善六ものがたり<15> 第1部 カムチャッカ(14)

太十郎が持ち帰ったとされるジャケット

<太十郎の伝言>

 善六が「タジュ」と泣きながら叫ぶのを見て涙ぐんでいたレザーノフの脳裏に、最後の別れの場面が浮かんできた。

 「ペーチャ(善六のこと)、一つ不思議なことがあったのだ。タジュは自分で喉を突き刺してから、一言もしゃべることはなかった。ただ最後の最後、4人と別れを告げたとき、タジュは病人ということでカゴに乗せられていたのだが、そのタジュが私に『プラッシャーイチェ、スパシーバ(さようなら、ありがとうございました)、ニコライ・ペトロビッチ(レザーノフのこと)』と言ってくれたのだ」

 「えっ、タジュはしゃべれなくなったのではないですか」

 「あのとき以来、一言もしゃべることはなかった。でも確かに私はタジュが『さよなら』と言ったのを聞いたのだ。それも彼はほほ笑んでいたんだ」

 それを聞いて善六ははっとした。太十郎は絶望で自殺などしたわけではない、もしかしたら何が何でも故郷に帰るために、自らに刃を向けるという最後の大芝居を売ったのではないか、そんな風に思えるようになった。

 レザーノフは引き続きこう語った。「最悪の結果となった。ただ私は諦めないし、あの日本の不遜な態度を許すことができない。何とかして違う方法で今度は日本がわがロシアにひれ伏して、貿易をお願いしますと言わせるようにしてやるつもりだ」

 善六はあえてここで、どんな方法でとは聞かなかった。そして明日午前中に慶祥丸乗組員を連れてまたここに来ることを約束してその場を去った。

 翌日、慶祥丸乗組員6人が善六と共にレザーノフの下にやってきた。すでに今回の遠征が失敗に終わったことは昨日善六より聞いていた。ただ今後自分たちがどうなるかについて、善六は何も語っていなかった。とにかく全てはレザーノフの胸の中にある、自分たちでその決定を聞いてくれということだった。

 レザーノフは日本人たちを目の前にして、いきなり「こんにち、よいなんぎでござりまする、まめ息災でござりまするか」と日本語で語り掛けた。

 6人は顔を見合わせ、レザーノフが何と言っているのか分からず、首をかしげた。そして善六の方を見つめた。善六は「こんにぢは良い陽気で、息災でござりすかと聞いでおりす」と訳した。

 その後もレザーノフは日本語で話そうとするのだが、日本人たちにはほとんど理解できなかった。その様子を見てレザーノフはロシア語で6人に話し始めた。長崎での話は善六から聞いているので分かったのだが、慶祥丸乗組員にとって何より気になるのは、自分たちが日本に帰れるかどうかだ。

 継右衛門は「私たちはクニに帰られるのでしょうか」と善六を通じて聞いた。レザーノフは日本人たちが日本に帰りたがっていることはよく理解できたようだが、首を振りながらこう語り始めた。

 「お気の毒ですが、あなたたちを日本に帰すことはできません。もう二度と日本に来るなと言われているのですから、あなたたちを連れて長崎に行ったら、今度は接岸する前に砲撃を受けることになるでしょう」

 継右衛門は、ここが大事なところだということで、レザーノフの話を途中で遮るようにして、こう切り出した。その顔はまさに必死の形相であった。「へば、どぅんたらいのだ、わいだぢは」

(毎週水曜掲載/大島幹雄・作、太田和美・絵)


※ロシアに残った若宮丸漂流民〜善六ものがたり<14> 第1部 カムチャッカ(13)
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/05/20180509t13006.htm


スポンサーリンク

ページの先頭に戻る