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2018.04.08

米軍医が撮った1951、石巻地方<12> 中瀬と荷馬車

 1945(昭和20)年7月の建物疎開から立ち直った中瀬の内海橋通りです。建物疎開は、空襲による焼失から重要施設を守るため、防火帯を作る目的で行った住宅などの強制解体のこと。石巻市では中瀬と中町、本町などで実施されました。

 写真左から、千葉三商店、横田煙草(たばこ)釣具店、山西商会で、電柱の脇から北端の秋葉神社への坂道が続いています。その先にも店があり(うち1軒は川崎時計店か)、東内海橋の先には湊の家が1軒見えます。千葉三商店の真新しいガラス戸が、直近の再建であったことを物語ります。

 右にあるのは岡田劇場の映画看板(内容不明)。戦後、建物疎開から再建した岡田劇場は、正面が歌舞伎座風の造りから平屋に変わり、49(昭和24)年に映画常設館となりました。空前の大ヒットとなった「ゴジラ」の上映は54(昭和29)年です。

 中瀬通りを荷馬車が湊方向に通過中。積み荷ははっきりしませんが、たんすか長持ちに見える家具類を荷台いっぱいに積んでいるので、引越し荷物でしょうか。傷を付けないようにゴザとムシロで囲っています。馬車の車体は木製で小さい前輪、大きい後輪と荷台からなり、前輪は小回りが利く回転構造でした。

 やがて荷馬車は、オート三輪車や自動車に取って代わられて少なくなりますが、農家に依頼した便槽のくみ取り、木材や薪炭、馬草の運搬、馬は山林での木出しのソリ引きなどに利用されました。

 59(昭和34)年の商工地図の中にも穀町には、荷馬車を製作する製車店や馬具店がありました。荷馬車の欠点は馬の生理現象で、歩行中でも所構わずの排せつには閉口させられたものでした。(郷土史家・辺見清二)


※米軍医が撮った1951、石巻地方<11> 四つ手網漁と定川
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/04/20180401t13002.htm


<情報をお寄せください>
 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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