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2018.03.04

米軍医が撮った1951、石巻地方<8> 大曲閘門

 上の写真は、北上運河の大曲閘門(こうもん)(旧名は定川南閘門)を通過する発動機船と、ひらた船2隻。鳴瀬川の方向(写真奥)に向かって進んでいます。下の写真は、閘門看守人の開閉作業を手伝う家族。右手にある木造平屋の建物は官舎です。

 旧北上川と鳴瀬川を結ぶ北上運河(延長13.9キロ)の間には、水位差があって運河側の水位が低く、満潮時は船舶航行が危険になります。このために水位調節を目的に設置するのが閘門です。

 県は1907(明治40)年、定川を挟んで運河が合流する釜と大曲に、土砂流入・洪水逆流防止の目的で、木造閘門を新設しました。13(大正2)年の高潮被害で損壊したためコンクリート積み閘門(2代目)を新築し、16(大正5)年7月に完工します。

 閘門の門扉は、木製で観音開きです。「神楽桟・かぐらさん」(ろくろ又は巻き車)と呼ばれた道具を人力で回転させて開閉します。

 神楽桟の語源は不詳ですが、角材で枠を組み、中央に回転軸となる太い丸太を立て、軸に差し込んだ2本の木の棒を人力で回すことで門扉上部に連結したロープを巻き取り、開閉します。門扉1枚に1台の神楽桟が付属し、対岸でも作業中です。

 運河には明治以降、小型蒸気船が就航。北上川流域と石巻港・塩釜港を結ぶ水上交通路として人と物を運びました。戦後も昭和30年代まで木材、川砂や井内石の建築資材を積むひらた船を発動機船が引く、のどかな光景が見られました。

 大曲閘門の門扉は1966(昭和41)年、鋼製門扉と交換、開閉装置が機械化されたと思われます。県が看守人をいつごろまで配置したか不詳ですが、現在は老朽化から開閉機能を失って門扉が撤去され、たまに往来する船は満潮時を見計らい航行しています。(郷土史家・辺見清二)


※米軍医が撮った1951、石巻地方<7> 羽黒山から
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/02/20180225t13009.htm


<情報をお寄せください>
 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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