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2018.02.11

米軍医が撮った1951、石巻地方<5> 金毘羅通り

 かつてサトミ本店や三木屋本店があった金毘羅(こんぴら)通りは、旧裏町(大町)通りと旧中町通り、旧北上川の川岸を結びます。通りの歴史は江戸時代までさかのぼり、石巻村中町と旧北上川対岸の湊村田町・本町を結ぶ「中の渡」(中町渡)への道で、「八百屋丁」と呼ばれました。

 明治期に内海橋が架かり、中瀬に魚市場が開設されると鮮魚商や蒲鉾(かまぼこ)業者が集まり、サルコヤ脇の横町とともに「肴(さかな)町・煮肴町」として石巻人の台所を賄う町となります。

 1951(昭和26)年3月、町内の海産物商菊地清作氏が発起人となり四国の金刀比羅(ことひら)神社を分祀(ぶんし)し、通り南側の屋敷内に金毘羅神社(石巻小の旧奉安殿再利用)を創建。町内と近隣の賛同を得て通り名称を改めます。

 通り入り口の豪華な門は、4月上旬に設置。上段は「肴町 金比羅通」、両側の柱は「五穀豊穣(ほうじょう) 大漁満船 金毘羅神社入口」、「お買物は誠実と廉価の此の街で」と読め、新町名への期待、心意気が感じ取れます。入り口右側はサクライ洋品店、鮮魚の文字は菊清商店、左側は「木村商店」(後の家具店)。

 左の門柱下のコンクリート井戸は、旧裏町で最も良く知られた古井戸です。戊辰戦争では、箱館に向かう榎本艦隊に乗り遅れた旧幕府軍兵士らが新政府軍によって処刑されました。この井戸の付近は、広小路の高札場とともに市内2カ所のさらし首の場所となった悲しい歴史があります。

 井戸付近で道路幅員が異なっており、町境となっています。井戸前の広い道が旧裏町、奥の狭い方が旧中町側、突き当たりは五松山の石山です。(郷土史家・辺見清二)


※米軍医が撮った1951、石巻地方<4> 大曲浜と入り江
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/02/20180204t13011.htm


<情報をお寄せください>
 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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