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2018.02.04

米軍医が撮った1951、石巻地方<4> 大曲浜と入り江

 石巻工業港は1961(昭和36)年、釜地区の入り江を利用した堀込港湾として着工され、67(昭和42)年に開港。定川が入り江に注ぐ河口の景色は一変しました。

 写真は、入り江に面した大曲浜で小魚を運ぶ老婦人と孫たちの光景です。手前の2人は、魚を入れたブリキのバケツと竹籠を天秤(てんびん)棒ならぬ船の櫂(かい)に通し、担いで運搬。後方にもバケツか何かを手にする少女の姿が見えます。

 大曲浜の海岸堤防(波よけ土手)が低いように見えますが、大曲浜の昔を知る釜の住民に尋ねると「その通りです」と話してくれて、大きく成長したマツの木と対比を見せています。後方の海面は門脇の釜の入り江で、入り江に注ぐ定川の真ん中が石巻市と旧矢本町の境界線でした。

 かつては「釜の渡」が往来し、石巻方面への行商人や買い物客を船で運んでいました。

 古来、大曲と釜地区の関係は深いものがあり、婚姻先として「釜男と大曲女」のことわざが残ります。

 石巻方向を望む奥の稜線(りょうせん)の下に東北パルプ(現日本製紙石巻工場)の煙突が1本見えます。南風(海風)が吹き、陸地に向けて煙がたなびいているので、初夏の頃かもしれません。

 釜の入り江は、子どもが親に連れられて釣りや貝拾いをした場所で、入り江を囲む一面の松原が思い出されます。江戸時代の初め、川村孫兵衛重吉による江合川(定川)、迫川と北上川との合流工事により、海に注ぐ水流を失い「潟湖(かたこ)干潟」として成立しました。

 大曲地区は製塩業と漁業が盛んでした。釜地区は、門脇のうち「釜大曲」(大曲浜の飛び地)を川村氏が拝領したことで大曲村から門脇村に編入されました。地名の釜は製塩釜の釜に由来して今日に至っています。(郷土史家・辺見清二)


※米軍医が撮った1951、石巻地方<3> 大町通り
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/01/20180128t13010.htm


<情報をお寄せください>

 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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