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2018.01.21

米軍医が撮った1951、石巻地方<2> 川開きと立町通り

 1951(昭和26)年の石巻川開き祭りは7月28、29日の土日開催で、写真は当日の一景です。

 日中戦争の開戦で37(昭和12)年から休止していた川開き祭りは、太平洋戦争後の46(昭和21)年に復活。石鳥居(宮城県沖地震で損壊し鳥屋神社境内移転)前の鳥屋神社裏参道や立町通りの簡素な七夕飾りから、川開きの一日と分かります。

 この日、一方通行の立町通りは歩行者天国となり、大町通りのようなくす玉や吹き流しは望めず、笹竹に色紙テープのトンネルをつるすのが精いっぱい。ささやかな笹竹に、平和と祭りの喜びを感じた時代です。

 二百余段の石段の下、旧及川内科から旧中島外科への道路がはっきりしませんが、既に開通しています。立町の店舗は左から福来館写真館、数軒目は再開した待月食堂で、洋風建物の紅白幕との間が富貴町通り入り口、屋根(門口か)が掛けてあります。その右側に、秋田屋邸宅と庭園のイチョウの大木、数棟の土蔵や三吉神社。

 新しい2階建ては県石巻保健所、秋田屋の右奥には大きな蔵屋根と煙突が目印となり新田町の金兜(きんかぶと)と鈴木醤油(しょうゆ)屋、墨廼江(すみのえ)酒造などと分かります。

 富貴町正面の秋田公園跡に、祭り目当ての興行のテント小屋2棟が立ち、この年は5月からキグレサーカスが公演中。祭日でにぎわう見せ物小屋を思い出す人は多いことでしょう。数年後、秋田公園跡は売却されて駅前マーケットに変わりますが、マーケットを知る世代も少数になりました。

 上端は、小川町踏切と旭町通りの北端と思われます。旭町踏切から左折する蛇田堀沿いの高屋敷道の1本道が見えています。やがて駅裏は耕地整理され55(昭和30)年前後に完工、蛇田堀が石巻線近くまで直線化され、この時に穀町の新沼金物屋前の水押踏切の南北道路が整備されています。(郷土史家・辺見清二)

※米軍医が撮った1951、石巻地方<1> 内海橋通商店街
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/01/20180114t13017.htm


<情報をお寄せください>

 掲載された写真は、撮影者の長男アラン・バトラー氏のウェブサイト「Miyagi 1951」で閲覧できます。https://www.miyagi1951.com/
 写真に関する情報は辺見氏 090(4317)7706 にお寄せください。


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