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2018.01.14

米軍医が撮った1951、石巻地方<1> 内海橋通商店街

 石巻市内を代表する繁華街の内海橋通りと大町通り(現アイトピア)交差点。内海橋側から大町通りを越して橋通り3丁目までを撮影したカラー写真。右手から松泉堂、高彦靴店、柏屋呉服店、洋食新世界、平間商店、遠藤洋品店、(見えませんが星薬局)と並んでいます。

 ドーム屋根のコンクリート建物(元宮城商業銀行跡・七十七銀行所有)は当時の石巻商工会議所、通り正面に平和堂菓子店の看板、橋通り入り口に向けて建つ「橋通商店街」のネオンサインと柱、道路上の空中には天井つり型の円形の街路灯が3丁目まで見えます。松泉堂の赤地に白文字の「たばこ」の看板が懐かしい。

 左端のオート三輪車を知るのは、もはや年配の人ばかり。車種は不詳ですが、三輪車は後に排気量が大きくなり、1951(昭和26)年当時の石巻署管内の車両は469台。四輪自動車が珍しい時代で、多くの三輪車が大活躍をしています。

 写真からは見えませんが、内海橋通りと中町通り角の北側が四倉薬局、高橋そば屋、板橋雑貨店、サトミなど。南側角は宝光堂、天狗堂、まむしや、中華楼、泰山荘(後の丸光石巻店・55年開店)、榊洋品店、立花呉服店、若月化粧品店などがありました。

 大正建築の元宮城商業銀行はこの後に解体されて55(昭和30)年、七十七銀行石巻支店として新築。同銀行が立町大通りに移転後は、市社会福祉協議会ビルとして利用されました。

 40年代は、車社会の到来で内海橋通りの拡幅と店舗の近代化、歩行者天国や夜店などの実施で市内随一の商店街として発展しました。

   ◇

 1951年、米軍医ジョージ・バトラーさん(故人)が撮影した石巻地方の写真を、郷土史家・辺見清二氏の解説で連載する(毎週日曜付)。

 写真は、長男のアラン・バトラーさんがウェブサイト「Miyagi 1951」で公開中。https://www.miyagi1951.com/

 写真に関する情報は辺見さん090(4317)7706へ。

■へんみ・せいじ
 1947年12月、石巻市中央生まれ。石巻高、東北学院大経済学部卒。産経新聞石巻通信部に勤務し、退職後、財団法人河川情報センターなどで北上川に関する調査に従事した。現在は国土交通省北上川下流河川事務所の「水辺の復興・みらい館」(石巻市中瀬)勤務。自宅は石巻市中央3丁目。


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