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2017.09.13

戊辰150年・桃生地区中津山の侍たち<1> 石巻地方から出陣

阿部和夫さん

 年が明けて、2018(平成30)年になりますと、日本の歴史を大きく変えた国内戦争、「戊辰戦争」からちょうど150年目になります。

 戊辰戦争では仙台藩も参戦し、この石巻地域もさまざまな影響を受けました。桃生地区中津山の侍たちが、長岡(現在の新潟県)まで出兵し、新政府軍と戦ったのもその一例です。

 その内容などを20回にわたって紹介します。(石巻市芸術文化振興財団理事長・阿部和夫)

   ◇

 戊辰戦争は、1868(慶応4)年正月3日に京都の鳥羽・伏見で戦いの火ぶたが切られ、翌年5月18日に蝦夷地箱舘(※1)・五稜郭の戦いが終結するまでの1年5カ月におよぶ国内戦争です。

 戦いが始まったこの年は、十干十二支でいうと「つちのえたつ・戊辰」の年でしたので「戊辰戦争」といわれるようになりました。

 そしてこれまで、勝った薩摩藩・長州藩側を「官軍」、敗れた側を「賊軍」と言ったりしてきましたが、これは、勝った立場からの言葉です。

 この稿では「新政府軍」(薩摩藩・長州藩などの陣営)と、「旧幕府軍」(徳川幕府を支える立場の陣営)という言葉で統一することにします。

 もう一つ、前もって分かっておいてほしいことがあります。それはこの稿に出てくる月日は、「旧暦(太陰暦)」で、現在使われている暦(太陽暦)ではないということです(※2)。

 戊辰戦争に際しては、石巻地域の各地からも出陣しましたが、ここでは桃生地区の事例を中心に取り上げて話を進めます。

 第1図の地図には●をつけた場所が4カ所あります。

 仙台藩領の駒ケ嶺(現福島県)と丸森町の旗巻峠の戦いでは、桃生地区高須賀にいた足軽が参戦し、駒ケ嶺で1人、旗巻でも1人が戦死しています。

 また、桃生地区永井の村田城之輔教殖は家中を率いて越河(現白石市)に出陣しています。

 さらに、修験・法印様と言われる人たちも戦いに加わっています。桃生地区倉の良源院の日記によりますと、「飛行隊」という修験の人たちで編成した部隊が、二本松(現福島県)へ出陣しています。この時は、幸いにも桃生地区の人の戦死はありませんでしたが、この飛行隊からは、12人の戦死者を出しています。河北地区福田の修験で参陣した家には、「福島で敗れ桑畑の中を命からがら逃げかえった話」が、子孫の人に伝えられています。

 もう一つは、図示はしていませんが、桃生地区中津山の黒沢俊親家中が、越後長岡(現新潟県)の戦い、「北越戦争」に、仙台藩からの応援部隊としてその一翼を担い、中津山から駆けつけていることです。


(※1)蝦夷地箱館:現在の北海道函館。以前は「蝦夷地」と呼ばれていたが、1869(明治2)年8月に「北海道」と改められ、「箱舘」は「函館」となった。

(※2)太陰暦と太陽暦:政府は、1872(明治5)年11月9日に太陰暦から太陽暦に転換する詔を出して、「1カ月後の12月3日を明治6年1月1日にする」ことを国民に知らせた。以後、太陽暦が公式の暦となったが、実際には長年、両方が併用して用いられてきた。


■あべ・かずお
 1938年石巻市生まれ。東北大教育学部卒。教師として石巻管内の小中学校に勤務、99年3月に石巻小校長を定年退職し、同年4月から2008年11月まで石巻市教育長を務めた。13年12月から現職。


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