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2017.08.11

戦禍の13人、遺族が伝える石巻空襲(上) 悲しき徴用

犠牲者11人の冥福塔が収められている供養塔=石巻市羽黒町の永巌寺

小堤留治さん

父の思い出を語る小堤光子さん、和雄さん夫妻

 終戦間近の1945年8月9、10の両日、石巻空襲により13人の尊い命が戦火に散った。

 それから72年がたつ。

 遺族らは、愛(いと)おしい身内の最期をどのように胸に刻んだのだろうか。(地域ジャーナリスト・鈴木孝也)

     ◇

 創建から367年の歴史ある永巌寺(石巻市羽黒町)の墓地は、眼下に家並みを望む小高い丘にある。その一角に立つ「村上家先祖供養塔」には、かつて同市中瀬で操業していた村上造船所の工員11人の名前を刻んだ冥福塔が収められている。いずれも太平洋戦争の空襲で命を落とした人たちだ。

 1945年8月10日午前8時すぎ、連合軍の空母戦闘機による攻撃で、村上造船の防空壕(ごう)に爆弾が直撃。退避中の工員たちが即死した。激しい爆撃で遺体が飛び散るほどだった。

 94年7月、故村上忠治社長は戦死者の50回忌に供養塔を建立し、追悼した。その記念誌「戦禍殉職従業員五十回忌」によると、戦死者は田中栄一、小堤留治、辻川成元、高嶋慶喜、千葉三郎、山田仁也、日野深、後藤昭一郎、湯尾市太郎、阿部栄太郎、中橋進の各氏である。

 戦時中、村上造船は同じ中瀬にあった山西造船鉄工所とともに、旧海軍の管理下に置かれ、警戒船の役割を担う哨戒艇と海防艇を建造。連合軍の標的となった。

 犠牲者の一人、小堤留治さん=当時(42)=は同市湊で鮮魚商を営んでいたが、国に強制動員させられる徴用工として村上造船の配管業務に携わった。休暇を取った同僚の代わりに就いた夜勤の翌朝、空襲に見舞われた。

 長女の小堤光子さん(84)=石巻市湊=は父親の死を母親から知らされた。12歳の小学生だった。「軍のために動員された上に、なぜ無残にも死ななければならなかったのか」と、子どもながらにも徴用制度に憤怒の念を抱いた。

 「父はいつも優しくしてくれた」。それだけに突然、かけがえのない人を奪われた衝撃は大きかった。

 戦後の一時期、光子さんと、光子さんの夫和雄さん(87)も村上造船に勤めた経験を持つ。懸命に働いていた父親の様子を聞く機会に恵まれ、うれしかったことを記憶している。

 留治さんをよく覚えているのが、造船所で一緒に働いた紫桃武志さん(91)=石巻市中里=だ。生花業を手伝っていた19歳のときに勤労動員され、その後徴兵で半年間、旧陸軍護仙部隊(仙台市)に配属。この間に石巻空襲があったために難を逃れた。

 小堤さんの印象を「年上だが、同じ徴用組なので親近感を抱いた。温厚で面倒見のいい人だった」と生前の姿を語る。

■石巻空襲
 1945年7月12日の夜間爆撃(実害なし)が始まり。最大の空襲は同8月10日で、村上造船所、東北振興パルプ、石巻国民学校、石巻郵便局分室が攻撃された。国の旧経済安定本部によると、同9日から2日間の石巻市の被害は死者13人、重軽傷者16人、建物の全壊1棟。


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