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2017.03.19

生まれ変わる内海橋(2) 橋の変遷 初代は有料、徴収18年間

木鉄混交構造橋が完成し、渡り初めでにぎわう内海橋=1914年6月、県東部土木事務所提供

 「内海橋は当初、賃取り橋(有料)でした。工事費を捻出するため、利用者から料金を徴収する必要があったのです。ルールがあり郵便局員や役場職員のほか、通学の子どもたちは無料にしていました」。郷土史研究家の辺見清二さん(69)=石巻市中央3丁目=は、完成当時の状況をこう説明する。

 県東部土木事務所に残る資料によると、架橋工事には2万5000円(石巻村の歳出予算が約6500円)の費用が掛かったことから、1900(明治33)年までの18年間、有料が続いた。渡橋料金は徒歩4厘、人力車8厘、荷馬車1銭2厘。

 初代の内海橋は木製。直線ではなく、東橋(延長約84メートル、幅5.4メートル)と西橋(約65メートル、5メートル)は中瀬を挟んでズレがあった。

 1897(明治30)年に東橋、98年に西橋で改修補強工事が行われた。木造橋の大敵の一つが氷。当時は北上川が結氷するほど寒く、流氷をよける材除(ざいよけ)が橋脚の脇や橋の下流に設置された。

 1900年、管理者が内海氏から県に移った後、2代目の内海橋は木鉄混交構造となり、初めて橋脚に鉄材を使用。東橋は11(明治44)年、西橋は14(大正3)年に完成している。西内海橋の落成式と渡り初めは、知事や五郎兵衛の妻らが参加して行われた。

 「町内の諸高齢者代表と知事など一行を先導し、橋上を東から西へ、西から東へと一巡して走り初めを行いました。やがて一般人の通行が許可されると、待ち構えた町民が殺到、橋上は立錐(りっすい)の余地なしと思える人々で埋まりました。石巻町民がこぞって喜びに沸いた一日でした」と河北新報が当日の様子を伝えている。

 現在の橋に代わるのは、33(昭和8)年。架け替えは、西側の上流に仮橋を架けて往来を確保し、旧西橋を解体。同所にコンクリート新橋を架橋。東橋は活用しながら下流に新橋を架橋、完成後に解体した。

 東西内海橋は、コンクリートの永久橋となり、中瀬を境にズレが生じていた東西の橋は、東橋を下流側に移動させることで解消し、直線化した。橋長は東が約75メートル、西が約65メートルで幅員は8メートル。初採用された鋳鉄製の欄干は風格を醸し出した。

 開通当初、車馬が少なくのんびりした時代だったが、高度成長とともに車社会が到来し、道路事情は一変。歩行者の安全を確保するため68(昭和43)年、両端に幅1.2メートルの歩道を整備した。

 この年の交通量(12時間)は、前年比5372台増の1万1942台。その後2万台超えし、東日本大震災前の2010年は1万3716台となった。この年、県内初のアルミ製の歩道を設置し、2.5メートルの幅員を確保している。


※生まれ変わる内海橋(1) 完成まで17年 内海五郎兵衛、難題克服
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2017/03/20170318t13009.htm


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