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2016.08.05

敵国兵士を祭る女川町(上) 1988年、カナダから慰霊碑届く

女川湾で戦いに備える旧日本海軍「女川防備隊」の艦艇。終戦間近になると連合軍の空からの激しい攻撃に遭う=撮影年不明(女川町生涯学習課提供)

 太平洋戦争の女川湾海戦で戦死した1人のカナダ人兵士を祭る慰霊碑が女川町内に立つ。

 「なぜ敵国兵の碑を」と当初、町民らは訝(いぶか)った。1989年の建立から9日で27年になる。実現に至るまでの経緯とその意義を探る。(地域ジャーナリスト・鈴木孝也)

   ◇

 終戦から43年がたった1988年春、当時の女川町長須田善二郎さん(故人)にカナダ海軍大佐から一通の手紙が届いた。「女川湾海戦で戦死したカナダ兵・グレー大尉の慰霊碑を建ててほしい」と懇願する内容であった。数日後には慰霊碑が送られてきた。

 碑はカナダ産花こう岩製。土台を除き縦90センチ、幅60センチ、奥行き40センチの大きさだ。

 突然の依頼に役場は大わらわ。須田町長は海軍出身者でつくる地元の海友会や遺族会、ライオンズクラブに相談した。

 女川湾の戦いは激戦だった。女川町史によると、三陸航路は横須賀・北海道間の重要な輸送ルート。その中継点の女川港に旧海軍の強力な「女川防備隊」が配備されていたが、45年8月9日、連合軍の艦載機による空襲に見舞われた。長崎市に原爆が投下された日である。

 防備隊は艦艇約20隻のうち、海防艦「天草」など7隻が撃沈された。海底に消えた日本兵が158人に対し連合軍は1人。その人がカナダ人パイロットのロバート・ハンプトン・グレー大尉=当時(27)=だ。第2次世界大戦でカナダ人最後の戦死者として戦後、国から最高勲章のビクトリア章が贈られている。

 元防備隊兵の同町、神田義男さん(2005年8月、84歳で死去)は生前、「山中からも迎え撃ったが、飛来する敵機の攻撃に防戦一方で、湾内は炎上する艦艇の重油と死傷者の血に染まった」と戦闘のすさまじさについて語っていた。

 慰霊碑の対応で話し合いの中心になったのが、元女川海友会会長でもある神田さんだ。連日、自宅に十数人が集まり、激論が交わされた。

 「大勢の日本兵を死なせた者の慰霊碑をなぜ建てるのか」と口角泡を飛ばす反対論者がいる一方で、「石碑を返したなら国際問題になりかねない」「戦後40年以上もたつ。世界平和のために建てても良い」と友好を願う人もいた。中には「戦争を起こしたのは日本だから」と自責の念から賛成する意見も出た。

 当時ライオンズクラブ会員の鈴木博さん(81)は、その会議に出席した父親に「昨日の敵は今日の友。慰霊碑は女川の歴史を伝えることになる」と提言。曲折を経て、最終的には「恒久平和」を第一の理由にカナダの要請を受け入れることにした。

(本連載は09年8月15日、筆者が取材してラジオ石巻が放送した「敵国兵士を祭るまち」の脚本に大幅加筆したものです。)


◇グレー大尉の記念碑(全文)| 女川町
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/05_18_02.html


※関連記事
「戦後70年 記念碑前でカナダ海軍大尉を追悼 女川湾で戦死(2015.08.26)」
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2015/08/20150826t13002.htm


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