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2016.01.23

寄稿>戦跡を歩く(2) イタリア 日系2世米兵・刻印の地

激戦地のピエトラサンタに立つサダオムネモリ像

日系2世米兵も眠るフローレンス米軍墓地

◇戦没者広場に立つ銅像/写真家・宍戸清孝さん(仙台市在住)

 13歳の時、米軍三沢基地で画商をしていた叔父宅で、私は夏休みを過ごしていた。ある日、アメリカ陸軍の正装に身を包んだ一人の軍人がやってきた。叔父が英語で打ち合わせをする姿に憧れの気持ちを抱きながら、一つの疑問が頭から離れなかった。

 その軍人の顔がどう見ても日本人なのである。後の写真家人生を決める日系2世米兵との出会いだった。

 日系2世はハワイやアメリカ本土に移民した日本人を親に持つ。日本軍による真珠湾攻撃で、アメリカ本土に住む日系人の約9割が全米10カ所に及ぶ強制収容所に送られるなか、日系人の名誉を回復するため、アメリカ兵として志願することを決意。日系2世部隊が誕生した。

 かつて支倉常長ら一行は石巻市月浦を出帆し、ローマ法王に謁見(えっけん)するため、イタリアのチビタベッキアに上陸した。そのチビタベッキアは、二つの日系2世部隊が合流し、「第442連隊戦闘部隊」となった地でもある。

 1943年9月から44年11月まで、日系2世部隊はイタリア戦線でナチスドイツ軍と戦った。

 激戦地の一つ、ピエトラサンタの「ゴシック・ライン戦没者広場」には、2世兵の銅像が立っている。敵の手投げ弾が味方の塹壕(ざんごう)に落ちた時、その身で手投げ弾を覆い、仲間を守って命を落としたサダオ・ムネモリ上等兵。戦後、日系人として初めてアメリカ軍最高位の名誉勲章を受章した。

 多くの死者を出しながら、アメリカ陸軍史上最強の軍団と称された日系2世部隊。フィレンツェ近郊にあるフローレンス米軍墓地にはイタリア戦線で亡くなった日系2世兵、10人が眠っている。

 戦後70年以上たち、生き残った証言者の多くもこの世を去った。それでも、平和を希求して戦死した2世兵のことを思うたび、彼らが何を残したのか、記録していかなければと思っている。


※寄稿>戦跡を歩く(1) テニアン島 ビーチの戦禍
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2016/01/20160116t13007.htm


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