石巻の成り立ち

石巻は秀吉・家康・正宗がいなければ成り立たなかった街です。これは石巻の郷土史研究家の辺見さんとお会いした時に話された言葉です。米沢に生まれた正宗が秀吉に封地替えを命じられて福島を経由して岩出山に居を構えましたが、領内統治を考え、荒れ地だった仙台に城を築き、川村孫兵衛に命じて北上川を改修し石巻の地に1626年(数年ずれている記述もあるようです)に港を開いたのが始まりです。当時から北上川の河口だった追波(おっぱ)=北上町、は港として東向きで外波が入り、江戸まで難所の金華山沖を回り込む必要があったため、もう一つの河口だった石巻を開削して港を開き江戸までの回米の便を北上川の舟運も利用して活用したことから石巻の成り立ちが始まりました。慶長遣欧使節の時には石巻はまだ開かれていませんでした。当時の宣教師ソテロと軍人のビスカイノの記録では港として女川、雄勝、気仙沼を良港として書いていますが仙台から遠く、近くの良港として月の浦を選んだと書いてあるのを目にしたことがあります。石巻はその時はまだ海辺の寒村だったようです。その後江戸回米で栄え、漁港として発展しますが、鉄道(東北本線)の路線から外れ、漁業規制(北洋漁業ほか)なども影響し、衰退して現在に至ったようです。明治期の野蒜築港などが順調だったらまた違った顔の街になっていたでしょう。この辺の歴史は何とも面白い話がイッパイありそうです。

*穀町の水押踏切へ行く交差点です。ここが石巻村と蛇田村の境だったそうです。

*上の交差点のすぐ傍にある三角茶屋があったY字路です。目印が無くなってしまい話すとき不便です。


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