短歌(2/10掲載)

短歌

【佐藤成晃 選】

===

遠き目をして語り出す震災のあれやこれやを冬の日向に  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

【評】3.11から8年がたとうとしている。つい先日のことのようでもあり、ずいぶん昔のことにも思える昨今である。今や、あの災難を「遠き目」で語るほどに日常生活に落ち着きを取り戻したとでも言ったらいいのか。悲惨な体験に打ちのめされながら語った当時とは幾分変化したような気もする。「日向に」と描写されるところに、それが実景でありながらあの震災に何か距離感も感じられて、震災についての思いが微妙に変化してきたことを感じてしまう。その微妙さをつかんだ佳作。

===

リュック背に一週間を買いに行く戦後の姿思い出しつつ  (石巻市丸井戸・松川友子)

【評】素朴な日常詠。昭和20年以後の食糧難時代と重ねての作品だから、鑑賞する側にある年齢が要求される一首。あの当時、家族の食料を求めてリュックを背負いながら田舎をめぐることが日常だった。今作者は、一週間分の食料を求めに、おそらく量販店に向かうのだろう。「リュック背に」から自家用車の無い生活を想像し、老人の「リュックに」入る量から家族の数を想像しながら鑑賞した。どんな些事(さじ)であっても、あの時代抜きでは今は無いことになってしまう高齢者の人生観には脱帽する。

===

種菌(たねきん)を植える槌音(つちおと)ひびく里春待つ穂木(ほぎ)の山となりつつ  (石巻市北村・中塩勝市)

【評】投稿された原作は「種菌を植えこむ穂木山と成る春待つ里に響く槌音」だった。春を待ちわびる心情は推察できるのだが、このままでは作者の思いが十分短歌に生かされていないのではないか。原作の中の言葉を上下に動かせば、作者の思いはもっと出てくるはずだ。そう思って手を加えたのが提示した作品である。自分の思いを表現するための「添削」の一例として読んでいただきたい。言葉を上下に動かしていると、「これだ」と声が出るところがあるはず。そこに短歌(うた)があるのです。

===

追憶をたどりて行けば突き当たる漁船に乗りたる十五の男  (石巻市駅前北通り・津田調作)

「初孫が生まれました」の余白にはありあまるほどの笑顔のイラスト  (東松島市矢本・菅原京子)

聴診器こころの音を聞いてくれ妻の施設をさがして十日  (石巻市恵み野・木村譲)

外聞も見栄(みえ)とてもなき老い我のなせるは手元(てもと)のかからぬ短歌  (東松島市大曲・阿部一直)

茶会席に振袖(ふりそで)春を匂わせて今朝のニュースは北の大雪  (石巻市蛇田・菅野勇)

初春を七福神(しちふく)巡りの老い仲間願い同じと会話がはずむ  (女川町・木村くに子)

女川の町の風物丸干しのすだれ秋刀魚(さんま)が朝日に光る  (石巻市水押・阿部磨)

三人に一人は癌(がん)になるという癌という文字「普通」になりぬ  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

雪道を今朝も出かけるウオーキング野道に最初の足跡付けて  (東松島市矢本・奥田和衛)

庭隅の柿の木枯れてひよどりの声なき朝の久しくなりぬ  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

花束にメッセージ添え子に貰う八十四歳の今日誕生日  (石巻市中央・千葉とみ子)

夕べには萎(しお)れてしまったパンジーの日々蘇(よみがえ)る朝の陽浴びて  (石巻市南中里・中山くに子)

母眠る墓石の雪に朝日射(さ)し孫らとやさしく撫でて拭き取る  (角田市角田・佐藤弘子)

松過ぎて帰らん孫を見送ると手を振るホームにベルけたたまし  (石巻市わかば・千葉広弥)

雪掻きに隣りの手助けありがたし寒い朝(あした)のホッとな気分  (石巻市不動町・新沼勝夫)

原発のある町捨てて生きたいと思うだけでは家捨てられぬ  (石巻市向陽町・蟻坂利江)

幼き日母の背で見た冬の月 月と重なる母の温もり  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

【2019年2月10日(日)石巻かほく掲載】

■作品を募集中

 短歌、俳句、川柳を募っております。皆さんの力作をお寄せください。

 募集要項は次の通りです。

 短歌、俳句、川柳とも必ずはがきを使い、1枚に3首・句まで。いずれも自作の未発表作品に限ります。作品は返却しません。

 作品と同じ面(裏面)に氏名(筆名の場合は本名も)・住所・年齢(学年)・電話番号を記し、〒986-0827石巻市千石町4の42、三陸河北新報社編集部・文芸係(短歌、俳句、川柳を明記)まで。連絡先は0225(96)0321。