短歌(12/2掲載)

短歌

【佐藤成晃 選】

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晩酌のコップに思いを注(つ)ぎたして海を呼び込む延縄漁(はえなわりょう)の  (石巻市駅前北通り・津田調作)

【評】晩酌のコップに酒を注ぎ足すことでますます延縄漁のあの日のことが思い出されるという心の動きがよく見える佳作。酒と思い出が重なるように詠みこんだところが秀抜だ。若い日の厳しい労働の現実が、このような短歌作品として鑑賞できることは一読者としてもありがたいし、他人(ひと)ごとながら感動を楽しんでもいる。老いて作品化することで苦しかった過去が生きる「短歌」であってほしい。

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牡蠣殻(かきがら)で切りし指先舐(な)めたれば幼きころのお袋の味  (石巻市門脇・佐々木一夫)

【評】作者は養殖漁業をなりわいとして暮らして来たのかもしれない。高齢になった今も、何かのはずみで母を強烈に思い出すことがあるのだろう。牡蠣の殻で指を切ったとき、血の滲んでいる指先を思わず舐めた。その味が母の味だったという。まさしく血の繋がりを確かめたような小さな怪我(けが)。血の味でもって血縁を確かめるなど思いのほかのことだが、幾つになっても母への郷愁は消えないことの喩(たとえ)として鑑賞した。

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「やばいね」と若者たちが連発す老いの耳には馴染(なじ)めぬ言葉  (石巻市不動町・新沼勝夫)

【評】言葉の風俗から若者との距離を詠んだ一首。「やばい」は「不都合だ」「あぶない」などマイナスのイメージで使ってきた言葉だが、今の若者たちは「すごい」「格好いい」の意味で使うことがむしろ多いのではないだろうか。言葉の中身が逆転してしまった世界に住む両者には、「通じ合い」はむずかしいこともあろうか。作者が「なじめぬ」と詠まざるを得なかったのは、言葉の本質さえ変えてしまう現代文化への違和感なのかもしれない。

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あのころは仕方なかりし合同葬 菊の日和に一人をおもふ  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

照りかげる老いの心の空しさにひそひそ称える般若心経  (東松島市大曲・阿部一直)

雪虫のふんわり冬を告げに来ぬ枯れ葉脱ぐ木々重ね着する我  (石巻市蛇田・菅野勇)

ザーザーの雨に訪(おとな)う人無きに茶請けにせんと干し柿を揉む  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

つんつんとつがいの蜻蛉(とんぼ)尻をつくそこは芝生ぞ少子化ならむ  (石巻市恵み野・木村譲)

その昔原発の町を誇りいしフクシマの友いかに生くるや  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

「ねむの木」の女性コーラスに招かれて会場一致で歌う「赤とんぼ」  (石巻市南中里・中山くに子)

戻れない更地のままの我が家跡雑草生(くさは)え来ぬか確かめに行く  (石巻市中央・千葉とみ子)

隣家にも柿の木あれどムクドリはわが家の柿に日がな集まる  (石巻市桃生・米谷智恵子)

有難し ちょうど食べごろ渋抜きの柿をくださる友のあること  (東松島市矢本・菅原京子)

干し柿が甘くできたとお誘いの友の配慮に涙がにじむ  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

容赦なく舞い降りる葉の袋詰め 今日霜月のサンタクロース  (石巻市大門町・三條順子)

餌食らう羊の息も白くなり脇谷(わきや)の沢に初氷張る  (石巻市北村・中塩勝市)

おんな手に育てし弁当茶色だったと四十の息子のこのごろぼそり  (石巻市開北・星雪)

晩秋の鳴子に遊び宿りしは娘(こ)らのはからひ金婚我に  (女川町・阿部重夫)

洗ひゆく青菜のなかに潜みたる紋白蝶はかたく羽閉づ  (石巻市蛇田・千葉冨士枝)

早々とビンゴゲームに勝ちし友ブーゲンビリアの鉢受け帰る  (石巻市丸井戸・松川友子)

【2018年12月2日(日)石巻かほく掲載】

■作品を募集中

 短歌、俳句、川柳を募っております。皆さんの力作をお寄せください。

 募集要項は次の通りです。

 短歌、俳句、川柳とも必ずはがきを使い、1枚に3首・句まで。いずれも自作の未発表作品に限ります。作品は返却しません。

 作品と同じ面(裏面)に氏名(筆名の場合は本名も)・住所・年齢(学年)・電話番号を記し、〒986-0827石巻市千石町4の42、三陸河北新報社編集部・文芸係(短歌、俳句、川柳を明記)まで。連絡先は0225(96)0321。


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