原敬の東北観(庄司尚広)

水紋

 戊辰戦争から今年で150年を迎え、東北各地で戊辰戦争に関する歴史講座や催しなどが行われている。

 私たち東北人が「維新」ではなく「戊辰」をあえて強調するのは「白河以北一山百文」の言葉に象徴されるように、当時の人々が薩摩・長州などの藩閥にさげすまれてきた歴史、すなわち「敗者の歴史」があることを忘れてはならないからだ。

 岩手県出身で東北から初の首相となった原敬もまた戊辰の記憶を生涯忘れなかった一人である。外務、陸・海軍の3大臣を除く全ての閣僚を政友会会員から起用し、初の本格的政党内閣を組織した。原は政友会と貴族院を巧みに操縦することで、明治国家の中央集権的性格を弱め、権威主義からの脱却を試みた。

 生来、原は郷里を愛したが、リアリストである彼は東北に対して冷ややかな視点も持っていた。1906年に出版された半谷清寿「将来之東北」では、当時第1次西園寺内閣で内務大臣の地位にあった彼が次のように述べている。

 「試みに彼の関西人の業務に勤勉なる有様を見たる眼を以て、東北人の業務に不勤勉なる実況を看よ。一見して関西の進歩発達するに反して、東北の不進歩不発達なるも無理ならぬことが判る」

 原がこのような辛辣(しんらつ)な評価を下したことは注目すべき点である。

 原内閣成立から100年を迎える今年、この発言の意図を確かめる意味は大いにあると思う。

(庄司尚広)

【2018年7月10日(火)石巻かほく掲載】


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