短歌(6/30掲載)

短歌

【佐藤成晃 選】

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一人とて暮らせる日日に背を伸ばし曾孫(ひまご)注文の赤飯を炊く  (石巻市中央・千葉とみ子)

【評】数年前に夫を亡くされた作者。連れ合いを亡くしたのちの空虚感を詠み続けてきた作者が、やっと長いトンネルを出ようとしているようだ。「一人でも生きていける」と感じ始めて背伸びをすることから、「曾孫」さんとの関係が芽を出す。曾孫の注文で「赤飯を炊く」幸せを手に入れたのだ。長寿の現代は、「孫」でなく「曾孫」なのだろうか。生活の中にこそ「短歌(うた)」があることを肝に銘じて作歌に励んでほしい。

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夫と我カメラとペンを携えてヨシ原を撮りヨシ原を詠(よ)む  (仙台市青葉区・岩渕節子)

【評】3.11の被災以後、仙台市に住むようになった作者。あれから7年が過ぎて、追波(おっぱ)川下流の葦(よし)原を訪ねたのだろう。大川小学校近くのこの葦原も相当痛めつけられたはず。全国の寺社仏閣の屋根の葺(ふ)き替えを支えているここの葦。時々、「野焼き」の風景としてテレビでも紹介される葦原。夫はカメラで、本人は歌を詠むために訪ねたのだ。夫婦がお互いの趣味の世界で、ほどほどの距離をとりながら楽しんでいる様が想像される。味わいのある一首。

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飯の炊けた湯気の香りに目覚むれば明け行く空に白き雲湧く  (石巻市丸井戸・佐々木あい子)

【評】目の覚め方が魅力的だ。幸せの香りで目が覚める朝。予約時間にご飯が炊ける炊飯器の便利さは、もはや手放すことはできない。与えられた幸せをしっかりと自分のものにした、そんな詠みかただ。そして、目覚めから空へと動く視点のなかに、「生き」の充実感のような気分まで読ませてしまう佳作だ。前々作・前作と同様、生活の中に詩を発見し、それを形式にはめ込んでいくのが短歌の基本だと納得させられた。

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誰からも好かれる老いでありたしと皺(しわ)を伸ばして大きく笑う  (東松島市大曲・阿部一直)

シルバーに染まる黄昏(たそがれ)歩きつつ独りよがりの短歌(うた)を編みおり  (石巻市駅前北通り・津田調作)

逆さまに傘を開いて子どもらが濡れた木々から雨を集める  (東松島市矢本・千葉楓子)

ぎゅっと腕組みつつ待ってる老医師の方言ポロリに腕の緩まる  (石巻市開北・星雪)

帰京する孫を見送るさびしさにただ老いの目をうるませるのみ  (仙台市泉区・米倉さくよ)

定期健診に視力検査の光受く一瞬ののち「よし」の一言  (石巻市南中里・中山くに子)

復興のサインのように羽ひろぐ河口に黒く川鵜(かわう)は群れて  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

老木の紅をふかめる八重桜の散りし花びらひとひら握る  (女川町・阿部重夫)

筋向いの家解体(こわ)されて二階より駅のホームに立つ人の見ゆ  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

乳母車押しつつ散歩の若いパパ慈愛の笑顔時折り見せて  (石巻市不動町・新沼勝夫)

この妻と共に暮らして五十八年茨(いばら)の峠も無事に越えたり  (東松島市矢本・奥田和衛)

あれこれの不安抱きつつ順を待つ今日の診察は一年ぶりか  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

水張田(みはりだ)を見ながら思うわが家にも田の五、六枚賑(にぎ)わいしこと  (石巻市丸井戸・松川友子)

来し方に紆余(うよ)曲折が数多(あまた)ありき色どり添えて八十路(やそじ)を行かん  (石巻市蛇田・菅野勇)

牡丹(ぼたん)終れば次は我が世と芍薬(しゃくやく)の色競いおり朝の日ざしに  (東松島市矢本・雫石昭一)

アベ・サトウ時も廻れば表札は横文字ほそき角のゴシック  (石巻市大門町・三條順子)

子別れの季節かカラス二羽三羽追いつ追われつ空かけ回る  (石巻市高木・鶴岡敏子)

【2018年6月30日(土)石巻かほく掲載】

■作品を募集中

 短歌、俳句、川柳を募っております。皆さんの力作をお寄せください。

 募集要項は次の通りです。

 短歌、俳句、川柳とも必ずはがきを使い、1枚に3首・句まで。いずれも自作の未発表作品に限ります。作品は返却しません。

 作品と同じ面(裏面)に氏名(筆名の場合は本名も)・住所・年齢(学年)・電話番号を記し、〒986-0827石巻市千石町4の42、三陸河北新報社編集部・文芸係(短歌、俳句、川柳を明記)まで。連絡先は0225(96)0321。


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