恩義(浜尾幸朗)

水紋

 石巻市にある寺で先日、前住職の七回忌法要に出席する機会があった。檀信徒の人の供養とは全く違った形式で、解説を交えながら厳かに進む法要の一つ一つを見守り、ご本尊と前住職に対して静かに手を合わせた。

 解説した僧侶の方は「見えないものに真心を尽くすことは美しい」といった趣旨の言葉を述べた。

 仏壇にご飯や供物をささげ、花を手向け、焼香して合掌することも、それに通じるような気がする。亡き人は見えないけれど、近くにいて見守ってくれていると私は信じている。

 今、この世で暮らし、生かされている自分という存在は、先祖をはじめ、多くの人たちのおかげである。感謝し、その気持ちを言葉や形に表すことは大事である。

 それを毎年欠かさず実践している宗教者がいることを紹介しよう。

 先に触れた石巻市にある寺院の末寺で、仙台市の由緒ある寺の住職だ。本寺の前住職が2012年に遷化した後も、毎年6月の命日に自宅を訪れ、墓参を続けている。聞けば「老師にはお世話になったから」という。

 忙しい時間を割いて仙台から駆け付け、生前受けた「恩義」を忘れず、報恩の供養をしていることに、人としての在り方、人として大切なことを学んだような気がする。

 私には「当たり前のことをしているだけ」という心の声が聞こえた。自分を見つめ直す機会にもなった。心を磨き、精進したい。

(浜尾幸朗)

【2018年6月26日(火)石巻かほく掲載】


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