短歌(4/7掲載)

短歌

【佐藤成晃 選】

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広辞苑の分厚い肩に寄りそいて二人三脚の歌を詠みつぐ  (石巻市丸井戸・佐々木あい子)

【評】歌を創るとき、言葉の意味や用法を確かめるために辞書の世話になることはよくあること。この作品の生き生きとしているところは、「広辞苑」という辞書名を出したことと「二人三脚」という熟語でもってその依存の度合いを表現したところにあるのではないか。「二人三脚」は「寄りそいて」具合を言い得て妙である。辞書を人物扱いして、日ごろの作歌修練のためにいかに辞書が大切であるかをも知らせてくれる佳作である。

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今年中に見渡す景色おんなじになる小三と「すたみな太郎」へ  (石巻市開北・星雪)

【評】「見渡す景色がおんなじになる」という言い方は、子供の背丈が自分と同じ高さになることを言っているのだろう。景色を見る視角でもって子供の背丈を説いているわけだが、やや回りくどい書き方だと敬遠される向きもあるかも知れない。それを承知の上で、普通ではない表現で自分の気持ちを表そうとする作者の積極的な模索は認めてやりたいものだ。そんな言い方もあったかと思わせる味わい深い一首。

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ざわざわと新聞テレビに七年忌引けて桜に野球に夏に  (石巻市恵み野・木村譲)

【評】あの3.11から7年が過ぎた。年忌の当日のマスコミは一斉にあの日のことを取り上げていた。まさに「ざわざわ」と騒ぎたてて過ぎ去った、と思ったら「桜」の開花は何時か、春の選抜高校野球はどこがというニュースで沸き返り、気がついたらもう夏の始まり。「ざわざわ」の「ざ」の音は耳障りな感じがする音だ。そこからの推量で言うと、当日のマスコミの在り方に必ずしもフィットできなかった作者の心情も読み取れる作品である。

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夢見ずに明けたる朝はなけれども覚めれば又も歌に追わるる  (東松島市大曲・阿部一直)

お彼岸の墓地に出遭えば常ならずあいさつ交わす誰とはなしに  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

ウォーターとふ言葉のひかり手に識(し)りてヘレンケラーは意志を展(ひら)けり  (石巻市桃生・佐藤国代)

泣き声は命の証(あかし)と思うべし産科病棟に春の陽がさす  (石巻市蛇田・千葉冨士枝)

ヨシ原の冷たき風よさざ波は優しく奏(かな)で野鳥育(はぐく)む  (石巻市相野谷・戸村昭子)

人見えねどみどりたくましく春は来ぬさらなる復興さらなる  (不安石巻市大門町・三條順子)

階下より潮の匂いの漂い来ぬ今朝の御供はあさりとメカブ  (石巻市門脇・佐々木一夫)

暁の入海寒し岸近く置き物のごと鴎(かもめ)ら眠る  (女川町・阿部重夫)

色のなき水を重ねて海と呼ぶ船の飛沫(ひまつ)に光る七色  (石巻市駅前北通り・津田調作)

いつの間に卒寿となりし我が齢(よわい)あれもこれもと思う忙(せわ)しさ  (石巻市桃生・高橋ふぢ)

土温み風もやわらぐ春彼岸農に生まれしことに感謝す  (石巻市鹿又・高山照雄)

目の前の金婚式を待たずしてさっさと一人旅立ち行きぬ  (石巻市相野谷・伏見里子)

散歩道のつぼみ未だかと見上げつつ枝の小鳥と会話はじまる  (石巻市蛇田・菅野勇)

夕やみの春風さむき足元にむらさき揺れてイヌフグリ咲く  (石巻市相野谷・武山昭子)

母の忌は山茶花のころ膨らみし蕾(つぼみ)を愛(め)でる姿浮かび来(く)  (石巻市吉野町・伊藤敏子)

物忘れせぬが人の名浮かび来ず老いゆく我の脳を疑う  (女川町・木村くに子)

水溜まり囲んで話す園児らは映りし顔をまたいではしゃぐ  (石巻市清水町・岡本信子)

【2018年4月7日(土)石巻かほく掲載】

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