「西郷どん」の言葉(河北新報石巻総局・古関良行)

水紋

 西郷隆盛を主人公にしたNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を見ながら、かつて赴任した酒田市のことを思い出した。

 酒田に住んでいた頃、市内にある土門拳記念館によく足を運んだ。同市出身の写真家、故 土門拳の作品が並び、多くの人が訪れる。

 ただ、記念館の近くにある南洲(なんしゅう)神社に足を延ばす人は少なかった。西郷隆盛をまつる神社である。どうして酒田で西郷をまつるのか、当初は不思議でならなかった。酒田や鶴岡を含む庄内藩は戊辰戦争で、西郷らの薩摩藩と戦火を交えた間柄だったからだ。

 戊辰戦争に敗れた庄内藩には、会津藩とは違ってほとんど罰が与えられなかった。「敗者を痛めつけるなど人の道に反する」という西郷の計らいがあったとされる。

 西郷の温情を知った当時の藩主をはじめ藩士約70人は1870(明治3)年、鹿児島を訪ね、西郷の教えを受けた。旧庄内藩の人々は後に、西郷の言葉を『南洲翁遺訓』にまとめ出版する。

 西郷は著書を一冊も残さなかったから、それこそ貴重な遺訓となった。そして南洲神社を建てたのは、この本に感銘を受けた庄内人であった。

 「どんなに制度や方法を論議しても、行う人が立派でなければうまく行われないだろう」
 「自信過剰で『俺は完全に正しい』と思い込んでいる国家が繁栄した例はない」

 通常国会の審議を見るにつけ、政治が信を失った今、あらためて西郷どんの言葉を読み返している。

(河北新報石巻総局・古関良行)

【2018年2月1日(木)石巻かほく掲載】


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