口説く自由(河北新報社石巻総局・関根梢)

水紋

 昨年秋、米映画界でセクハラ疑惑が持ち上がったのを契機に、性被害を告発する動きが世界的に広がりを見せている。SNS上での合言葉は「♯Me Too」だ。

 「何がセクハラになるのか分からない」「もう俺、口開けないよ」。居酒屋の片隅から聞こえる酔客の嘆き節に、告発運動の余波が身近にまで及んでいると感じる。萎縮する背中に同情しながら、ややもすれば私自身もセクハラをする側になりかねないと自戒する。

 一方、仏の女優カトリーヌ・ドヌーブさんらは「性暴力は犯罪」とした上で「男性には女性を口説く自由がある」と過熱する告発に警鐘を鳴らした。彼女らの主張には批判も寄せられているが、一理あるように思える。

 前提として履き違えてはならないのが、人の尊厳を踏みにじる性暴力と、好きな相手の気を引くためのアピールは全く違うということだ。相手を尊重し、心を通わせようとコミュニケーションを重ねる過程が「口説く」ことであり、権力や立場を振りかざして人の心を踏みつける卑劣なやり口は言語道断。行為の程度にかかわらず、糾弾されてしかるべきだと思う。

 口説き文句が甘く響くのは、言葉の裏に深い思いやりや愛情があってこそ。人によって不快感や恐怖を覚えるような性的な話題や接触は、関係を深めるための必須項目ではないはずだ。

 「口説く自由」を盾にした独り善がりな振る舞いは、ロマンスの敵でしかない。

(河北新報社石巻総局・関根梢)

【2018年1月16日(火)石巻かほく掲載】


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