将棋(久野義文)

水紋

 書店に行くと、手に取ってしまう雑誌がある。将棋の月刊誌だ。指さなくなって久しいが、習慣とは不思議なもの、夢中でやっていた学生時代のままに将棋の本を立ち読みしている。

 好敵手がいた。高校が同じだったS君だ。大学に入ると、私は千葉、彼は東京・目黒に住んだ。よく行き来した。狭いアパートの部屋で、飽きもせずに将棋ばかりした。外に出るのは食事の時だけ。戻ってくるとまた駒を並べ始める。徹夜マージャンならぬ徹夜将棋をしたこともあった。明け方、パチッという駒音が頭にやけに響いた。

 楽しみにしていたことがあった。仕事の第一線を退いたら、S君と1日のんびり盤を挟んで向かい合う。そんな光景を想像した。

 だが、かなわぬ夢となった。3年前、S君は病気で亡くなった。

 将棋は自然と覚えた。小さいころ父が将棋仲間と対戦しているのを脇から見ているのが好きだった。手ほどきも受けた。最初は父に全然、歯が立たなかった。やがて勝つようになった。うれしい半面、父が自分より弱くなったということに寂しさも感じた。その父も今年、他界した。

 将棋を指している時は互いにあまり口をきかない。でも対話をしているような空気が生まれる。親との、友との、かけがえのない“持ち時間”だったような気がする。

 人生は続く。前進できない駒はない-のだ。

 11日、日本将棋連盟石巻支部が100回大会を迎える。

(久野義文)

【2016年9月8日(木)石巻かほく掲載】


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