〔9〕第4の謎 「配置」(上)

住まい探偵帖@石巻
なぜ西向き 神棚に“鍵”

 神山家は西を向いている。建築設計の常識から見れば、西向きの家は非常識。東に山が迫り、西に海だから、敷地が南北に細長い形なら納得できる。敷地はむしろ正方形に近い。南向きに配置することも十分可能なはずだ。事実、養蚕小屋は南向きに建てられていた。なぜ、西向きにしたのか。今回はこの謎を考えてみたい。

津波から家守る

 私は、やはり正方形の神棚に謎を解く鍵があると考える。神山家の生業は漁業と運輸業、製塩もしていたらしい。全て海の恵みで生計を立てていた。だが、海は海難事故や津波などの災害ももたらす。だから立派な神棚を作り、安全と幸福を祈ったのだ。

 1896(明治29)年に三陸大津波が起きた。尾崎地区の被害状況はよく分からないが、女川では3.1メートルまで水が上がった。岩手県が最大の被害を受けたが、宮城県でも流失、全壊、半壊戸数が1372戸だった。

 このとき、施主の捨松さんは29歳。その恐ろしさを体験していたはずである。神棚は真っすぐこの海に面し、最大限災害から家族や家を守る必要があったのではないか。つまり、家の向きを決める上で神棚の向きが重要だったのではないか。

イラスト・佐々木麻衣

イラスト・佐々木麻衣

海から離し造る

 それと、もう一つ。できるだけ海から離して家を造ることも重要だ。高波が来ても被害は少なくなる。すると、答えはできるだけ山側に基壇を高くして西向きの配置になる。

 事実、基壇の石積みの高さは60センチある。これは推測にすぎないが、三陸大津波はこの基壇の高さまで来たのではないだろうか。もし、それ以上水が来たら、山の中腹に新築した可能性もある。

 尾崎地区は相当古くから人々が暮らしていた。長面浦は、海水と淡水が混じり合った汽水域で、特産の殻付きカキなど魚介が豊富に採れる。神山家から南に行けば、縄文時代の大浦貝塚、中世の館跡もある。海の恵みに加え、北上川の河口にあって交通の要衝であり、歴史が古い場所なのだ。

 神山家は尾崎浜の南端に位置する。尾崎浜の住宅は南から北へ開発されたという。神山家の本家は中世までさかのぼれるという話も聞いた。

 神山家の菩提(ぼだい)寺である海蔵庵は、1335年ごろに天台宗のお寺として建立されたと伝えられている。室町時代の始まりの時期、足利尊氏が活躍し、吉田兼好の徒然草が書かれたころだ。海蔵庵には板碑群があって、古いものは鎌倉時代とされている。

 縄文時代から人々が暮らしていた尾崎地区は長い歴史で、何回か津波や高波の被害もあったはずだ。その歴史の証言者があの神棚のような気がしてならない。

(1級建築士 那須武秀)

【2014年5月4日(日)石巻かほく掲載】


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