〔8〕第3の謎 「八角天井」(下)

住まい探偵帖@石巻
洋風の応接間に“変身”

 神山家は書院造りと数寄屋の合体で優雅な「鶴の間」、ユーモラスな亀がいる遊びの「亀の間」。この対比が愉快だ。しかし、亀の甲羅は六角形のはず。なぜ八角天井にしたのか。

 その理由は図を書いてみれば分かるはずだ。六角形を八畳間の天井に割り付けると、何とも不格好。六角形の頂点を全て結んで四角で囲むと、長方形になってしまう。数学的には、2対ルート3の比の長方形になる。無理やり正方形で囲むと、変な隙間ができる。施主の捨松さんも棟梁(とうりょう)も納得がいかなかっただろう。

正方形になじむ

 それに対して八角形は正方形にきれいに入る。正方形には八角形がなじむのだ。八角形の頂点を結ぶ正方形の取り方は2種類あるが、どちらも四隅がきれいに納まる。

 6から8へ、7を飛ばす。7がないのは、質屋にはお世話にならないという謎かけか? それに亀の間で6をそろえすぎるのも無粋だという考えもあったかもしれない。

イラスト・佐々木麻衣

イラスト・佐々木麻衣


 1888(明治21)年完成の旧登米尋常小学校。その昇降口の平面は六角形の半分だ。天井はなく、洋式梁(はり)が六角形に掛けられている。この建設にも気仙大工が参加した。設計監督は、元大工の山脇喜三郎。洋風建築には手間が掛かり、さらに監督が厳しく瓦屋が4軒つぶれた。その恨みか、山脇監督が屋根に上っているうちに下りられないように、はしごを外したという逸話も残っている。

 神山家は1907(明治40)年の建設だから捨松さんも棟梁もこの六角形は知っていたはず。まさか、「六でもない」と避けたわけではないだろう。27(昭和2)年の完成だが、気仙大工の名工・花輪喜久蔵設計の定義如来旧本堂も六角堂。六角形は決して嫌われているわけではない。六は末広がりの八につぐ吉数なのだ。

 むしろ、旧登米尋常小学校などの洋風建築に学び、鶴の間の和室に対して亀の間を洋間にしたかったのではないか。

 明治半ばから古い封建的な「家」に対して西洋近代的な「家庭」を重視する考えが浸透してきた。その建築的な回答として明治30年ごろには和洋折衷住宅が提案され、玄関近くに洋間の応接間を付けた住宅が増えてくる。亀の間はその流れの現れではないか。畳にじゅうたんを敷き、シャンデリアをつるし、洋風家具を置けば洋間の応接間にも変身できる。

 神山家には30人分の食器がある。祝儀、不祝儀、その他さまざまな人々が集まるときは鶴の間、亀の間と神棚のある「おかみ」の3室続きで使った。しかし、亀の間は縁側から直接入れる。八角天井は洋風の応接間としても使えるように、特に趣向を凝らしたのではないだろうか。

(1級建築士 那須武秀)

【2014年4月27日(日)石巻かほく掲載】


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