〔5〕第2の謎 「設計者」(上)

住まい探偵帖@石巻

気仙大工の特徴多いが

 神山家の正方形は、施主の捨松さんだけではなく、大工さんが共同設計したのでは? この家を建てたのは、どんな大工さんなのか。

腕のいい職人7人

 神山家の棟札を見ると、棟梁(とうりょう)は「及川平三郎」。副棟梁は北上町橋浦の「及川小四郎」。他に大工が5人。全7人でこの家を造ったことが分かる。

 彼らは明らかに腕のいい「気仙大工」だ。気仙大工とは「旧気仙郡」を出身地とする出稼ぎ大工集団のこと。旧気仙郡は仙台藩領だったが、現在は岩手県南部。むしろ千昌夫や新沼謙治の故郷といった方が分かりやすいだろうか。

 彼らは江戸の昔から出稼ぎに出て数々の名建築を各地に残した。仙台の城下町建設時、武家屋敷を造った記録がある。仙台城や大崎八幡宮も建設に参加した可能性が高い。サン・ファン・バウティスタ号の建造にも6人が参加したという雄勝の伝承がある。その他、金華山や定義山、石巻・永厳寺山門など相当な数だ。

 神山家には気仙大工の特徴が各所に見られる。まず軒下を見ると、桁が出ているのに気付く。これは、腕木を出してその先端に鼻桁を乗せ垂木を渡す工法で「せがい造り」と言う。軒の出が長くなるので耐久性が増し、夏の日差しも遮ることができる。

 内部に入ると、曲がり木を利用した豪快な梁(はり)が見える。家の構造を支える木の組み方は大工の腕の見せどころ。その他、正方形の神棚下の立派な「板長押し」、廊下が直角に曲がるところで床板を扇形に張る「扇張り」にも気仙大工の特徴がよく出ている。

イラスト

イラスト・佐々木麻衣

及川頭領は謎の人

 及川棟梁とはどんな方だったのか? さまざまな文献を調べたが、名前は出てこない。そこで、気仙大工研究所の平山憲治氏に伺ってみた。平山氏はご自身も気仙大工で、熱心に棟礼や伝承から無名の大工さんを研究記録している。

 結論から言えば現時点で、及川棟梁も謎の人だ。少なくとも地元の棟礼には発見できなかった。平山氏の話では、長期間出稼ぎをやっていると、気仙に戻ってもなかなか棟梁にはなれず、棟礼にもその名が残らないらしい。

 棟梁と副棟梁は親子か、兄弟か、親戚か? これも謎。ただし、小四郎さんは出稼ぎに出て、北上町橋浦に居着いた可能性がある。

 では、正方形のデザインは気仙大工の伝統か? 大戸(入り口)が1間で正方形だが、特にそういう伝統はない。炉縁は3尺角で正方形だが、真四角には作らず、5分でも1寸でも違うように作るものだった。棺おけが真四角だったので、それで忌み嫌ったらしい。

 正方形はあくまで捨松さんのこだわりか。

(1級建築士・那須武秀)

【2014年3月23日(日)石巻かほく掲載】


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