交流人口(菅野健寿)

水紋

 大きな災害で過疎化が進む被災地は、定住人口とともに交流人口の増加に苦心している。その例として、最近、2つの地域の報告を聞いた。

 雲仙・普賢岳の噴火で火砕流、土石流被害に遭った長崎県の島原地方と、北海道南西沖地震で津波被害を受けた北海道の奥尻島。どちらも復興に携わった行政担当者らによる生の報告だった。

長崎県南島原市

雲仙・普賢岳(左奥)を望む公園に立つ「火砕流最長到達点」の看板。被災地巡りの見学者が時折立ち寄る=長崎県南島原市

 共通しているのは、災害から20年以上が経過し、被災地としての注目度が下降線をたどっていること。島原にある展示のメーン施設・雲仙岳災害記念館の入館者は初年度の約36万人から3分の1に激減。奥尻島の観光入り込み数も一時、地震前の水準まで増えたものの、その後ずっと右肩下がりの状態という。

 地元に住む人々の記憶の風化も始まる中、それぞれの地域では新たな取り組みに挑戦している。島原では、地域全体を「野外博物館」として活用するジオパーク構想に巻き返しを託す。奥尻でも、産業体験などを取り入れた防災教育推進プログラムを官民協力で進めようとしている。

 今はまだ支援の手が厚い東日本大震災の被災地も、いずれ交流人口の問題と向き合うときがくる。石巻地方からは何を発信し、来訪者に何を見せるのか。将来を展望し、しっかりとした構想を練る必要がある。

(菅野健寿)

【2014年2月20日(木)石巻かほく掲載】


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